秋雨の午前中

秋雨だね。

今日のブランチは明るい気持ちになるもんがいいな。。。

ってことで、、、



エリンギとイカ墨スパゲッティ。

果物+豆乳ジュース。これは、おいしっくて最近頻繁に作ってます。
今回は柿+リンゴ+バナナ+豆乳+レモン汁少々です。

それに焼き芋だぁ。電子レンジに「焼き芋機能」が付いていてラッキー!
本当に石焼き芋屋さんと同じようになります。


<備忘録1>
最近読了した『放蕩記』村上由佳、より心に響いた言葉。

・血のつながりの濃さと、心のつながりの濃さとは悲しいことだがまるで関係ない。

・親のいちばんの愛情ってじつは子供に期待をしないこと。

・自分の気持ちに嘘をつくってことは、相手に嘘をついているのと同じ。

・自分は何よりもまず、尊敬という感情が無ければ、本当に人を愛せない。
この部分はかなわないと感じる瞬間があるからこそ、尊敬し、信頼することが出来る。そしてまた、信じているからこそ、その人の前で安らぐこともできる。

・人は良く、誰かを評して裏表があるなどと言うことがある。
けれど、人の心や魂はおそらく、こちらが表で、こちらが裏とすぐに判別がつくほど単純じゃない。

心も魂も、一枚の紙の様でなく球状のもので、その球に光のあたる部分と影になる部分があり、境目は常にぼんやりと滲んでいる。そう、まるで月のように。

月は自転しながら地球のまわりを回っている。自転と公転の周期がともにほぼ27日だから、いつも同じ顔を地球に向けていることになる。

つまり地球からはどうしても、月の半分しか見ることができない。
影は未来永劫、影のまま。月の夜は永遠の夜だ。


<備忘録2>

11/3,NHKのSONGSで雪村いづみさん登場。
「どんなに計画しててもどうなるか解らない、だから今を精一杯生きる」

歌われた『ケセラセラ』よかったなぁ。

参考

今週11/10は『YUI』さんです。お若いのにとっても頼もしい一人。
楽しみです。



今朝のお散歩で

田圃もすっかり冬に向かっている。

DVD鑑賞『蝶の舌』

1999年スペインアカデミー・ゴヤ賞脚色賞を受賞した映画『蝶の舌

スペイン内戦前のガリシアの片田舎の小学校でグレゴリオ先生とであったモンチョ少年は、生きていくための本当の知識を教わっていく。

キラキラしたモンチョ少年の瞳が光り輝く成長のあかし。


色々な切り口があるけれど、今問われている学校教育という切り口からすると、これほど素晴らしい教育はないなぁ。と思います。

グレゴリオ先生。。教員でもなく、教師でもなく、正に『先生』です。

結末は、沢山の課題を私たちに残しています。

ちょっと切ない。

でも石を投げながらモンチョ少年が叫んだ「蝶の舌」に救われます。




<ある日のグレゴリオ先生の授業より>

もうすぐ春が来る。

天気が良く暖かい日には

森へ行って生物の勉強をしよう

生物は好きかね?

自然は私たちの親友で

人間が見る事のできる最大の驚異だ

アリが砂糖を得るために 家畜を飼ってるのを知ってるかい?

クモが何百万年も前 潜水艦を発明したことは?

では、チョウチョに 舌があるのを知ってるかい?


<先生と少年の会話>

モンチョ少年「人間は死ぬとどうなるの?」

グレゴリオ先生「どうなると思う?」

モンチョ少年「何だか恐いや」


この続きを知りたい方、思わぬ結末を知りたい方は、ぜひ映画をご覧くださいませ。



今朝のお散歩にて


紫式部

自然の生み出す紫の美しさにほれぼれ。

Angel's ladder 「天使の梯子」

今朝のお散歩で。。

天使の梯子がみえました。

結構頻繁にある現象ですけど、やっぱ、なんか嬉しいな。。



本当は年末に観ようと思っていた『巡りあい』のDVD借りてきちゃった。

以前にも記事書いたようにTerryという名前の女性が主人公なので。。

とに角メロッメロです。

この秋どっぷりロマンチックな気分に浸りたい方、泣きたい方・・・おススメです。
って笑って記してます。

2度もリメイクされています。ケーリー・グラント&デボラ・カーでなく、
ウォーレン・ビーティ&アネット・ベニングの方で観ました。実はお二人は今ご夫婦なんですね。

アネット・ベニングの笑顔が素敵です。。でした。14年前ですから。。
チャーミングだわぁ、あの笑顔。


ぐっと来た台詞。ニッキ(ウォーレン・ビーティ)の叔母が二人を前に暗示めいて言う台詞。
 
『人生の喜びは何かを得る事じゃない。得てから大事にすること』
『あなた方には得ることは簡単』
『私は本当の愛を知って幸せだった』

家の修繕。。えらいね!蜘蛛くん

雨上がりの朝。
今朝はキラキラのお日様の光を浴びて、蜘蛛くんが一所懸命、早朝から住処の修繕をしていました。



蜘蛛くんのご容姿からして、敬遠されがちですが、一方で人間界の害虫を捕食してくれるので益虫とも言われています。

みんな、人間界目線ですけど。人間って勝手だわねぇ。


自然界の中でみれば、、、
こうしてせっせとお家を修繕してる姿をみると、偉いなぁ。。働き者だな。。と感心してしまいます。


話が少しずれますけど、自宅の屋根などの塗り替え時期になりまして、現在見積もり依頼中。
どうするかなぁ。。と思っていましたけど、、、

蜘蛛くん、やっぱり家の定期的な修繕は必要だよね。

今朝の蜘蛛くんからメッセージを頂いた気がします。

樹からの恩恵

樹はいいなぁ。

「恩恵を頂いた」とはっきり感じたことが30年くらい前にあった。

その時の感覚は今もしっかり残っている。

肉体的にも、精神的にも大変な時だったなぁ。
突然思い立って、スケッチブックとクレパスもって古墳公園に行って堂々とした大きな樹を描いてみた。

なんで、そうしたかったのかな?絵を描く趣味もなければ、上手いなんてこともなく・・でも、そうしたかったんだわぁ。。


そして、半日くらい無心に描いて、出来上がったころは元気が湧いてきた。

深くて太い幹、伸び伸びと広がる枝、その先の豊かな緑。

出来上がった画は真中にドーンと一本、元気な樹の気が満ち満ちていた。

樹と向き合ったことで、大きな勇気と励ましをもらったんだね。

・・・樹はいいなぁ。。


そんな事を思い出して、また古墳公園に来て大きな樹を見上げています。


メタセコイアは家族の集まりみたい。綺麗な樹の形


樹は水面ともなかよし。


樹の間を渡り歩く

さて、ここらで一休み。

長田弘さんの詩集を読もう。


森の奥の樟の木(くすのき)

古い森のなかで、あるとき、ふと呼び止められたような気がして、ふりかえると、そこにおどろくほど齢をかさねた樟の木の老人が立っていた。

濃い苔の這った、皺だらけの樹皮の肌した、裸身の木の老人。ずっと昔に、雷をうけて、そのときからずっと、空にむかって両腕を挙げたまま、森のなかに生きてきた大きな樟の木の老人だった。

森の奥は、木々の影のあいだに姿を消して、そのまま樹木に変じて、数えきれない時間をひっそりと背負いつづけている木の老人たちのいる場所なのだ。

顔はもたないが、木の老人たちはゆたかな表情をもっていて、風が揺らす茂みのことばで話すことができる。

微かな木漏れ日がちらちら揺れている。森のなかには尽きない時間がある。踏み迷うことのできる時間があり、すべもなく立ちつくすための時間がある。

生きるとは時間をかけて生きることだ。人はどうして、森の外で、いつも時間がないというふうにばかり生きようとするのか。古い森の奥の大きな樟の木の老人は何も言わず、ただ黙って、そこにじっと立っていた。

長田弘 <詩の樹の下で>より。



では、そろそろ古墳公園を後にします。


樹、そして大いなる自然に感謝の気持ちをこめて。。。

久しぶりのオフタイム

平日のこの時間帯、家にいてこうしてのんびりできるのって夏休みや年末年始以外に、すごく久しぶり。。

3年半ぶりくらいかな?

そう考えると、よう頑張ってきた自分。「自分で自分を褒めましょう」

ということで、今日はジムのお友達から紹介してもらったネイルサロンにデビュー。

こんなでぇす。


爪を延ばすのはあまり好きでないし、さっぱりとさせて、色はヌーディーな今年秋の流行色。スワロフスキーのクリスタルを一つずつだけ入れてもらいました。

これならお料理も大丈夫。技術はどんどん進化していて、4〜5週間はもつのだそうです。



今朝のお散歩で。。秋だわぁ。

イヌタデ三つ葉のクローバー(別名:あかまんま)


セイタカアワダチソウと柿の木


ダリア



今日から読み始めました。『放蕩記』 村上由佳

母親と娘の関係性って実はとっても大きな課題と常々思っていました。
9割が著者の実体験というのを何かで耳にし、ずっと読みたいと思っていました。
結構なボリュームですが、面白いので、一気に読めそう。

生きていく上ですべての関係の基本となるのが、母親との関係だと思います。
人との関わり方を方向づける重要な部分。

「母親との関係しだいで、あなたの精神的なレベルが高くも低くもなる」
というのを聞いたことがあります。

この歳になってもまだそこで悩むか自分。っていうことがある。なかなかねぇ。


一方、自分を母親という立場で考えると、娘は一体どうとらえているのかなぁ?

こちらの場合、ある意味、私より上いってるから、心配なさそう。

って思ってるのは自分だけ?かな。。。

縦書き?横書き?

中1生と国語のお勉強をしていました。
論説文です。5分もあれば読めてしまうのに、何故かなかなか進みません。

彼女曰く「だって、縦書きなんだもん。読みづらいよぉ」と。。。
携帯小説が大好きという彼女。本は好きでも縦書きは苦手との事。

そうっかぁ。彼女にとっての本は、すべて横書きなんだぁ。

「だって、五教科で縦書きなのは国語だけだよ」って。

何と言っていいやら〜。でも、こういうブログにしろ横書きにしてる訳で、一理あるなぁ。妙に納得。

更に、解答の文字も、おかしな所にカタカナが使われている。
手書き文字も流行りの釘文字。
これまた、今時の中学生事情がばっちり反映されてます。

「友達との手紙のやり取りの鉄則に則るとこうなるんです。」と彼女。
例えば「じゃ」 は「ぢゃ」と書き、文章にカタカナをいれるのは当たり前だそうで。

あ〜これから国語はどういう方向にいけばいいのでしょう。

教えて金田一京助さま。

ところで、携帯小説ってどんなの?と聞くと・・・
にこっり笑って、「もち!恋愛小説」ですって。


今朝のお散歩。。朝日です。