樹からの恩恵

樹はいいなぁ。

「恩恵を頂いた」とはっきり感じたことが30年くらい前にあった。

その時の感覚は今もしっかり残っている。

肉体的にも、精神的にも大変な時だったなぁ。
突然思い立って、スケッチブックとクレパスもって古墳公園に行って堂々とした大きな樹を描いてみた。

なんで、そうしたかったのかな?絵を描く趣味もなければ、上手いなんてこともなく・・でも、そうしたかったんだわぁ。。


そして、半日くらい無心に描いて、出来上がったころは元気が湧いてきた。

深くて太い幹、伸び伸びと広がる枝、その先の豊かな緑。

出来上がった画は真中にドーンと一本、元気な樹の気が満ち満ちていた。

樹と向き合ったことで、大きな勇気と励ましをもらったんだね。

・・・樹はいいなぁ。。


そんな事を思い出して、また古墳公園に来て大きな樹を見上げています。


メタセコイアは家族の集まりみたい。綺麗な樹の形


樹は水面ともなかよし。


樹の間を渡り歩く

さて、ここらで一休み。

長田弘さんの詩集を読もう。


森の奥の樟の木(くすのき)

古い森のなかで、あるとき、ふと呼び止められたような気がして、ふりかえると、そこにおどろくほど齢をかさねた樟の木の老人が立っていた。

濃い苔の這った、皺だらけの樹皮の肌した、裸身の木の老人。ずっと昔に、雷をうけて、そのときからずっと、空にむかって両腕を挙げたまま、森のなかに生きてきた大きな樟の木の老人だった。

森の奥は、木々の影のあいだに姿を消して、そのまま樹木に変じて、数えきれない時間をひっそりと背負いつづけている木の老人たちのいる場所なのだ。

顔はもたないが、木の老人たちはゆたかな表情をもっていて、風が揺らす茂みのことばで話すことができる。

微かな木漏れ日がちらちら揺れている。森のなかには尽きない時間がある。踏み迷うことのできる時間があり、すべもなく立ちつくすための時間がある。

生きるとは時間をかけて生きることだ。人はどうして、森の外で、いつも時間がないというふうにばかり生きようとするのか。古い森の奥の大きな樟の木の老人は何も言わず、ただ黙って、そこにじっと立っていた。

長田弘 <詩の樹の下で>より。



では、そろそろ古墳公園を後にします。


樹、そして大いなる自然に感謝の気持ちをこめて。。。