日曜美術館 村上華岳

今日は、村上華岳

ゲストの瀬戸内寂聴さんと京都何必館の坪庭の前で。

調度2年前にこの何必館を訪れ、5階にある光庭の前でしばらくそこに置いてある書籍を観て過ごしたゆったりした時を思い出しました。

四条の真中にあって別世界でした。




『裸婦図』のような女性にあってみたい。

妖艶、尊い、本当に美しいものは慈悲がある。



自然を描く・・・

ぐっと心に迫ってくる山並。稜線が活きて生きて何か問いかけてくるよう。

「官能的、精神的なところが融合しているところが魅力」(寂聴さん)



晩年の画室。描きかけの絵。喘息。死と隣り合わせ。
不動明王』は死の恐怖へ打ち勝つため。


『牡丹』30代に描いたもの・・艶やか。
    晩年に描いたもの・・・淡い墨一色。


青白い月光

苦しみの先には・・・清らかな世界が見えた。精神の救済。

「にがい道にこそ本当の価値が味わえる。」(華岳)


『太子樹下禅画』

官能的でありながら、仏が悟りをひらく姿。宿る。

画を描くという修行の到達点。思想の根本に仏教。

菩提樹の枝、葉、光の当て方で立体的。


美しいに理屈はない。そう思ったら溺れる。(寂聴さん)
こういう画が描けたら死ぬのが怖くないのでは。(寂聴さん)


51歳であちらの世界へ。