雨の朝

春の雨の匂いには、独特の安らぎがあります。

窓を開けて、いつもの場所で瞑想。。。

美味しい〜。くうき。

あれ?空気って「くう、き」?
「食べる…気」では、ないですか!
発見!……こじつけ?

たくさんの気をじっくり味わいましょう。

さて、いつもの場所から庭をみると石が雨に濡れてイキイキしてました。

手前にある青みがかった石は、南極の石。
シドニーにいた頃、南極に物資を届けるお仕事をしてらした方からいただきました。

今はその方も、あちらの世界に行ってしまいましたが、
日本の四季折々を石を通して感じて、喜んでいらっしゃると思います。



さて、連休は特に計画もしていなかっったのですが、
盛岡の一本桜を見に行こう!と思い立ちました。

一年ぶりに、また東北の桜を見てきます。
今年は、見過ごしてしまったので。

岩手県立美術館松本竣介さんの企画展も楽しみです。

心の赴くままに、動けるうちに。。

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新川和江さんの『詩が生まれるとき』より

花、ということ

ことしの花の…

ことしの花の下にいて
去年のさくら おととしのさくら
いつの世かさえさだかではない
はるかな春の
おとことおんなに
散りかかっていた花びらを思う

そのあとふたりはどうしたか
父の父の 祖父だったかもしれない
母の母の 祖母だったかもしれない
そのふたり

花はいくど咲き いくど散ったろう
ひとたちはいくど会い
そうしていくど別れたろう
うららかに陽は照りながら
ひいやりとなぜか冷たい花の下に
ことしのひとと共にいて

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新川和江さんを紹介して下さったのは、北原照久さんです。
先日お話を伺う機会を得て、その中で下記の詩を耳にしました。

お話は詩とは全く結びつかないような内容でしたが
何故この詩を大切にしているのか?
照久さんの心の原点が見えたように思いました。


千度呼べば

思いが  通じるという

千度呼んで通じなくとも

やめては  しまうまい


神様が  うっかり

かぞえちがえて

あのひとを振りかえらせてくださるのは

千一度目かも

知れませんもの


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上記の詩集より、もう一つ。

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流れる水

散歩のコースをすこし変えて
はじめて通る屋敷町のほそい坂道をくだってみると
ちいさな石橋があり
掘割の水が音をたてて流れていた

知らなかった 近くに住みながら
こんなところに掘割があったなんて
年代ものの石橋の上に立ちどまって
水の音に しばしのあいだ聞き惚れる

わたしの中にも
自分さえ気づかずにいる水路があるかも知れない
誰を立ちどまらせることもなく
ただ無心に 潺湲(せんかん)と流れている水が

そのうえにも
重たく繁った桜が枝をひろげているのであろう
花びらを浮べて運ぶみじかい季節はあっても
水面はおおむねひどく昏いのだろう

長い掘割に沿って
水が流れてくるほうへ歩いて行ってみようと思う
それとも流れていくほうへ歩いてみようか
水に訊く わたしの中を流れる水の音に