最近、詩集に目がとまります。

何事もそうですけど、全てが連鎖するものです。

最近私の周りに集まってきてくれた?!詩集は・・・

長田弘さん。新川和江さん。竹内てるよさん。


長田さん、新川さんは、ここ数日前に記したので、
今日は竹内てるよさんの『生命の歌』より、幾編か気に入ったのを備忘録も兼ねて載せておこうと思います。


この詩集は、実はある方がある事のお礼で、直接竹内さんから頂いたもの。
拝見した時、とっても惹かれるものがあって、しばらくお借りしていたら『どうぞ』と頂いてしまったのです。有難いなぁ。。


竹内てるよさんの『頬』は、以前美智子皇后がスイスで開かれた国際児童図書評議会でスピーチに引用したそうです。





  〈白梅〉


枝は

どんな細かなはずれまで寒風にきしんでも

花は

かっきりと 暗(やみ)にひらく

白梅は 私たちの花だ


月が出て 小さい庭が海のようなときは

かおりは ただよい流れ 花びらは白く

しかも あたたかく強い


人生の どのような不幸にもくずれおれず

しっかりと

愛をもって その生涯を生きる

私たち女性の 深きさびしさは

月に咲く この花の姿にも似ていよう


敗北の中にも 勝利の中にも

富の中にも まずしさの中にも

一すじ 愛に生きる私たち

私たちは いつにても 死ぬことが出来る

愛と 誠のためにならば


今よい

水のごとくなる月光の中に

静かにも 咲きてかおる

2月の花 白梅は 私たちの花だ





  〈白梅と女〉


厳寒の中に 咲く花 白梅

女は その花を愛していた


よわいからだをもとでにして

働いて 働きぬいて

からだがきかなくなって施療病院へゆくとき

生きて再びかえって来ないことを

女は誰よりも はっきりと知っていた


雲がとぎれて

ほんの僅かでも陽の光が射せば

ふくらみ切ったつぼみは咲くにちがいない

「もう二、三日おいて下さい」

女はうすぐもりの空を見上げて言ったが

誰も答えるものはなかった


車にのり

むらさきいろの小さい包みをかかえて

女は ふりかえって白梅のつぼみをみた





  〈パンジー


パンジーは きいろとむらさき

生まれてはじめて この花をみたとき

子供はまだ 五つであった

 この花はきっと まちがえて咲いたよ
 かわいそうだね
 らいねんは みんなきいろに
 まちがえずに 咲くよ

子供はそう思って にっこりとした

パンジーの花は いつもきいろとむらさき


二度目にこの花をみたとき

子供は 六つになっていた

 この花は 今年もまちがえたのよ
 可哀そうな花

子供は 夕風に前髪をふかせながら

一人でいつもでも 泣いていた


三度目の春に

パンジーはまた二色に咲いた

子供はもう泣きはしなかったが、

誰よりも 長いことこの花をみつめた


子供は あの目のようなむらさきがなかったら

どんなに この花を抱きしめたであろう

そのとき

人生にあきらめのあることを

子供は はじめて 知ったのである



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桜も好きですが、梅の咲くころが自分には合ってるような気がします。

梅の花が寒風に凛として咲いているとき。

その芳しさは、桜のたおやかな香りより、ひとまわり大人びて鍛え上げられた強さで真直ぐに鼻孔から胸の奥深くまで届いてきます。

竹内さんが『2月の花 白梅は 私たちの花だ』といみじくもおっしゃった・・・
嬉しいですね。

この梅の時期に旅立たれた女(ひと)は、きっと女性として最高の祝福を頂けたのではないでしょうか。
思い残すことなく、白梅に向かって、ありがとう。と振り返ったのだと思います。


パンジーは本当に毎年色々な色をつけて咲きます。

確かに子供は黄色のパンジーが好きですが、子供である時期は、あっという間です。

黄色のパンジーと紫のパンジーを一緒に観ていられた時期のなんと短く貴重だったことか。。。と思います。